『ヒースブログ』の管理人のヒースです。
最近読書のペースが良くなってきたので、いくつか積ん読を消化していて、ちょっと思うところがあったので記録に残しておくことにした。
ライトノベルを結構な冊数積ん読しているので、溜めていた本を読んで途中で終わっているから続きがないかを調べると、だいたい終わってる。
もちろん続いているシリーズもあるけど、それらはちゃんと続きを買って積ん読している。ある程度まとまった巻数が積ん読になるとさすがにそれ以上買い進めないので途中で止まっていることが多いけど、そもそもの巻数が少ないものほどよく終わっていた。
10巻程度まで続いているものは、かなりの割合でそのままシリーズが進んでいるので、積ん読が解消したら続きを買わないといけない。
逆に2巻とか3巻が積ん読状態だった作品は、それ以上続きがないので、読み終わったあとにとてももやもやーとするのだが、続きがその時点で出ていない以上どうしようもない。
これが2年程度前であれば、まだ続刊がポロッと出てくる可能性もあるのだが、3年でかなり怪しくなり、5年以上となれば打ち切りか作者が書けなくなってそれまでよ、となる。
2巻で終わっているものがとても厳しく、1巻で読者を集めて2巻から話を広げていき、そのまま長期化を狙っているからだろう、とても中途半端に終わる。伏線は張りっぱなしだし、登場人物が無意味に増えて掘り下げも少ない。シリーズ化が前提だからだ。
作者が違うシリーズを書いている場合は続きは期待できないものの可能性はあるが、作者が消え去っているともうどうしようもない。
商業の厳しさを痛感する。
ライトノベルに限った話ではないが、こういう続きがあるのかどうかわからない(実際は続きは絶望的)状況よりは、週刊少年ジャンプのようにきっかりと打ち切りエンドを書かせてもらえるのは良いシステムだな、と思う。
書き下ろしの単行本でそれをやるのは難しいが、小説家になろうとかカクヨムとかの小説投稿サイトに、せめてあと2万字くらいでいいので、打ち切りエンドが書かれるような時代が来てくれると、中途半端で終わった作品の続きを読みたい人間に幸せな社会になるような気がする。
作者が書かなくなっちゃった場合は、もうそれはそういうものだと諦めるしかないけど。
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